アキレオが生まれた日。  妻の無事を、子の無事を、ろくに信じてもいなかった神に心の底から祈った事を、私は強く覚えている。

「お前はまるで死そのものだ」  「モルテオ」という不吉で陰気な名前は、親愛なる実父によって与えられた。  外面の良さだけは素晴らしい父の取り計らいによって教育や食事に困る様な事はなかったが、しかし名付けによって示されたような我が子ヘの憎悪は本物であった。  幼くして母を失い、自らがその原因となった子。  奇しくも、アキレオと私の持って生まれた運命とやらは、非情によく似ている。  違いがあるとすれば、『私は我が子を愛している』。

アキレオは特別な子供だった。  ある日突然世界に現れた、特殊な能力を持った人間、及び生物。  それらの能力はPSIと呼ばれ、その発現はランダムであり、まだ研究途上の人智を越えた力。  その力を小さな体に宿して産まれたのだ。  ただ、その力が問題であった。  神経毒をその身から生成する能力。  それは出産において、母子の体を蝕んだ。  妻は意識こそあれど、病室から出ることのできない生活を余儀なくされ、すでに毒に犯された身にで再度毒に触れた場合、どんな危険があるのか分からないため、アキレオとは直接顔を合わせる機会は数えるほどであった。  制御できない毒を宿した赤子の世話と言うのは想像以上に手間の掛かるものであり、仕事もこなしつつ、妻を救うための解毒剤の研究も同時に行わなければならない日々が始まった。

そして当然ながら、そんな生活は長くは続けられない。  取り繕うにも限界はある。私は公私共に酷く追いつめられた状態だった。  無理が祟り、私は仕事で大きなミスをした。  おそらく、精神干渉系のPSI能力者の手によって、部下から重要な情報が抜き取られていたのだろう。  気が付いたときには既に対処のしようもない状態であった。

私の現状を慮ったのか、はたまた始末するには惜しいと判断されたのか、上から日本へ行ってPSIに関する研究所を設立しろとの指示が下った。  私はそれを受け入れた。  実質的にやっかい払いであり、左遷であることは理解していたが、息子の毒の研究を表立って行うことが出来るのは喜ばしい事だ。

「スコール・テクニコ」、日本、埼玉に新しく設立されたイタリア系PSI研究機関。  私に与えられたポストはその代表。  良い名分が出来たとばかりに私はPSIの研究にのめり込んだ。  成果を上げさえすれば、再び呼び出されることもあるはずだ。

結果から言えば、妻は助からなかった。  しかし、アキレオは一定の能力の制御を身につけた。  息子の当面の命の危険は去ったと判断していいだろう。

「私の分までよろしく」そう言い残した妻の忘れ形見。愛しい我が子。アキレオ。  私は、この子を幸せにしなければならない。

幸せとは力を持つことだ。  世界はいつだって力によって回っている。  それはPSIが世界に現れる以前から変わらず存在する、歴然としたこの世のルールだった。  そしてそれに則って生きてきた。

PSI能力者は人口こそ少ないが、少ないからこそ強力な能力には価値がある。  能力を安定させる訓練を繰り返した結果、アキレオが毒を針の形に形成して飛ばすなどという応用まで身につけたのは僥倖であったが、同時に不安でもあった。  アキレオの力はあまりにも他者を害することに長けている。  私が守らなければ、どんな利用のされ方をするか、想像だに容易い。  アキレオは妻に似て、素直かつ朗らかで優しい子なのだ。持って産まれた能力に傷つく事など、母を失った一度で十分だ。

平和とは、力を持った者同士の均衡によって産まれる。  私はアキレオの為に、アキレオに力を持たせてやりたいと思った。  きっとこの子であれば、力を正しく扱うことが出来る。 ……いや、そう育てる。

我が子のための平和を。  そのためにはやはり、より深いPSIの研究が必要不可欠だ。